20200608 思い出した言葉いろいろ

 環境が変わると考えることや、これまでの自分を振り返ることが多くなった。特に、ブログを書こうとするとふっと思い出したことをたどる作業をしている。3日なんとかつづいてえらーい。

 

 突然だが学生や前職の時本当に言われて嫌だったことがある。

それは「所詮学生のレポートなんだから」「素人っぽさがいいんだよ」のようなこと。後者は上司そういうAV好きなのか?って突っ込みかけたけどこらえた。

 

 確かにお世辞にも優秀な学生とは言えなかったし、レポートもそんな大したこと書かずに終わった記憶しかない。前職に至っては、そっちの方がいいならお金も出ないのに残って勉強する意味も、磨く意味も無いなと思って別の勉強に切り替えていった。今ではそれが勉強する体力を思い出すのによかったと思うけども、社外からの評価と実情の乖離が正直しんどかった。

 

 こういう言葉をスルー出来るほど大人になり切れていなかったところもあるし、大人じゃなかったからこそなにくそこの野郎の反骨精神で今取り組めているところもある。そういう面では、なんやかんやで自分は根が真面目なんだなあと思う。

 

 今の環境では、ひたすら求められるレベルに追いつくために勉強は欠かせないし、努力をせずしていいという雰囲気は全く無い。正直、4月入った時の最初の会議で飛び交うビジネス日本語がわけわからなくて青ざめた。今、何とか内容は理解はできるようになってきたけれども、実務スキルは文章力含めまだまだ磨いていかねばと、ページを捲る毎日だ。大変だけど、嫌ではないから性に合っているのだろう。

 

 ……そういえば。

 

 前の尊敬できる方の上司はよく本を読んでいた。どうしたらそんなに面白い発想ができるのか、仕事ができるのかと聞いたことがあったけど、決まって「本を読んでるからじゃない?本を読まないと人間がいつまでも浅くなる」と返されたことがある。

 本と仕事のできるできないの因果関係が分からなかったし、当時の自分は本を読む暇なんて無いと理由をつけて、全く読んでなかった。だけど今の仕事ができる上司も多忙な中本を読んでいて、私も少しずつ色んな本を読むようになってきて、さっきの言葉が少し分かった気がする。まだ自分の言葉では言語化できないから、こちらも思い出した推しの言葉を備忘がてら最後に引用しておこう。

 

 「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」

 

「調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える精神的な調律?チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」

 

 

 (PSYCHO-PASS 15話 槙島聖護)

 

 ブログ性癖デスマッチなんて見ずとも無残な地獄を産み捨てながら、月曜日もよくがんばりました。舌。